ひっそりとした日記です。生きていきたいの叫び。

覚え書き

デートはそんなに自分の服装に気持ちがいかないのに女の子と遊ぶ時は何着るか試行錯誤するし、それがすごく楽しい。待ち合わせ場所に意気揚々とモデルの気分で闊歩して行く。やはり同性の前の方が好きな服=個性を出してもいい服を着やすいし気づいてくれるから(認められたいから)だろうか。まあ、デートの方が「念入り」ではある。

恋の終わりの予感の話をした。現実は重たい。どうにでもなるようでどうにもならなかったりする。明日か3年後か考えたくないけどそういう日は突然やってきてしまったりする。だからセオリーばっかり読まないで目の前の人のことよく見ていたいなあ、と思った。

 

「他人」という言葉について。他人という価値観の定義は人によってかなりニュアンスが違うことに気づいた。それに自覚的になったきっかけはあるエッセイだったが、内容は全く関係ないので省略。その文では「今は他人」というように書かれていた。今は他人。ありふれたフレーズのはずだが、私は他人感、とでも言おうか他人の定義が著者とは違っていた。私は「人類皆他人」という感覚で生きている、そう思い知らされた。親しい友達であろうが、恋人だろうが家族であろうが赤の他人。私以外私じゃないのだから。私はこの感覚はとても大事だと思っている。他人事じゃないから誰かに起こった事件をその人自身のように驚いたり泣いたり怒ったりするのは確かだ。