ひっそりとした日記です。生きていきたいの叫び。

死にまつわる愛

自ら死のうという時、全ての愛に満ち溢れると聞く。

私もそういう経験はある。終焉に伴う全人類的な愛。ラブアンドピース。多幸感。

自ら死ぬことはない、と決めた人間にとっては、そこに愛はないらしい。
(そこに愛はあるんか?いや、ない)
今の私は、愛に絶望することがなく、ただし死への望みだけは消えない。
先日「corsage(エリザベート1878)」を観た。端的に言ってしまうが、過去も今も幸せだったら死を望むことはたぶんないのだと思う。感情の発露の先に、死を望むということがあるような気がする。また、愛があるから死ぬということも微妙だ。結果として、自らの死という行為が起きることは繰り返されているが、愛ゆえの死、というのは根本にはない気がする。

死を望んでいる時、愛はないのか。
難しい。愛している人がいても死ぬ人間は死ぬ。それは身勝手だから?

私はどんなに愛する人でも、本当に自ら死のうとするのなら止められないだろう。
愛している人の全てを受け入れたいのだ。それから、どんな組織(社会、会社、家族)も、私抜きでも平然とまわって欲しいのだ。そうあるべきだとすら思っている。

死を抱くことと愛を抱くことは同質だと思う。それゆえに人は生きていく。
終焉を迎えるとき、どんな気持ちになるだろう。全ての愛に満ち溢れるとしたらそれは生きた証の結晶だ。